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1月3日 午後1時より「新春初笑い」を斎行致しました。

今年は、第7回目となりまして普段お配りいています、「福の神守り」とは違い、記念の「七福神守り」を参加者全員にお配り致しました。

年々人数も増えまして本殿前大勢の方で、おおいに笑って頂きました、皆様の今年1年の幸多きこと心よりお祈り致します。

ありがとうございました。「七福神守り」は次は、7年後の第14回目です

​歳旦祭、新春初笑い、古札焼納火焚祭、のご案内です。

初笑いは記念の第7回目ですので特別の「七福神」の御守りをお渡し致します。​多くの皆様のご参加をお待ちしております。

令和6年10月26日(日) ​秋祭りを斎行いたしました

多数のご参列誠にありがとうございました。当日は選挙中の事もあり少し人数少なめでしたが、秋の実りに感謝申し上げ「新米」も山盛りに御供え致しました。

 

来年からは、此の10月26日に近い(土)(日)に夏祭りの神賑行事を移動し(元々秋祭りに斎行)厳密に言うと「戻し」、「屋台」(夜店)や「布団太鼓」を少しでも涼しい時に開催致します。ですので、夏祭りは7月26日に固定し「屋台」「布団太鼓」は秋祭りにて斎行致します。

 

「今年は、熱中症疑い4人・救急搬送1人が出てしまいました結果で御座います、此の規模の神賑行事で暑さで救急車を要請する事と成ってしまいました。今まで厳しい暑さの中、ギリギリでの綱渡り状態であった為 少しでも涼しい秋に戻す決断に至りました」

令和6年7月28日(日) ​本宮

28日は夏越し大祭本宮で御座います。暑い中多数のご参列ありがとうございました。

余談ではございますが、皆様口々に「この夏の暑さ限界ですなー」とおっしゃっていて「10月の少しでも涼しい時期にすべきでは」と

真剣に議論する方向にて話が進んでおります。

令和6年7月27日(土) ​宵宮

夏越し大祭の宵宮  宮入祭を朝8:30より斎行致しました。

本日も暑く厳しい一日となりそうですので、皆様気をつけて頂きますようお祈り致します。

令和6年5月12日 

5月12日(日)高崎神社布団太鼓保存会が7月の夏大祭の準備の1つ「安全祈願祭」を致しました。

一度布団太鼓を組み上げ、点検し実際に動かし安全を確認し夏大祭に備えました。今年の高崎神社の夏大祭は7月27日(土)

7月28日(日)となります。皆様のお越しをお待ちしております。

令和6年5月5日 

5月5日は端午の節句祭です。此の連休中は天候にも恵まれ当宮はゆっくりとした時間が流れております。

令和6年4月1日 

今日か明日かと桜の開花を待ちわびる中、今日は本当に気持ちの良いお天気です。本日から 新年度 が始まりました入社や入学など、新しい門出を迎えた皆さま、 不安を感じることもあるかもしれませんが、友達や仲間と力を合わせて、新たな挑戦に前向きに取り組んでください。 新年度も皆さまのご活躍とご健康を心よりお祈り申し上げます。

(令和6年4月1日撮影)

宮司(堀井賢二) 

平成28年4月1日 当高崎神社宮司に就任

​お気軽にお問い合わせくださいTEL 06-6681-8228

  FAX 06-6681-8890       

令和6年7月28日 大阪住之江区・南加賀屋 高崎神社布団太鼓 本宮
17:08

令和6年7月28日 大阪住之江区・南加賀屋 高崎神社布団太鼓 本宮

高崎神社ホームページ https://www.takasakijinja.com/ 高崎神社創建のご由緒 宝暦五年(1755年)初代加賀屋甚兵衛氏が産土神の水分神を勧請して大和川河口に祭り、天保八年(1837年)現地に移築して同時に天照大神柿本人丸大神を合祀したと言う社伝では、天保十年(1839年)創建された。当地一円の開拓者、三代目加賀屋甚兵衛氏の埋立工事が、洪水・高潮に度々阻害され其の加護を祈願して、自身生国の氏神水分社の御分霊を祠官松原若狭守により勧請祭祀され、高崎宮と称し、五穀豊穣・縁結び・学問の神として尊拝されています。 明治七年、当時の若者の組織であった加賀屋新田の若仲によって布団太鼓が購入され、村中の若い衆が威勢よく布団太鼓を担ぎ、村中を練り歩き、秋祭りの神振行事を一層賑わせました。   その後昭和六年に至り新たな布団太鼓(現在の布団太鼓)1基が購入され、以後秋祭りには2基の布団太鼓が村中を盛大に競演したものです。だが、昭和三十六年頃に移り行く世の時代の流れを止める術もなく、青年団が消滅すると共に布団太鼓も二十数年間太鼓倉の中に放置されたままになりました。 しかし、当時の賑わいを知る先輩諸兄方が、伝統ある布団太鼓の再興を願い、歳月をかけた並々ならぬご尽力により昭和五十九年の秋祭りに見事に復活いたしました。 平成八年には布団太鼓青年会が発足し、町中を担いで巡行するようになり、その後、平成十六年に新たに改装し現在にいたる。
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